花柳界や賓客と共に歩んできた、伝統と文化が彩る大和屋の足跡。

大正・明治の時代を支えた、花街文化と大阪の錚々たる要人や賓客。華やかな時流の中で、贅と技を極めた大和屋の料理の足跡を辿ります。

What supported the Taisho and Meiji era is key persons of politics and business circles and HANAMACHI culture. Our cuisine has entertained such a cultural people.

1877 (明治10年)
初代 阪口うしが置屋(芸妓扱所)、「大和屋」を開業。
1910 (明治 43年)
「大和屋芸妓養成所」(芸者学校)を創立。
1912 (明治 45年)
大和屋 料理部を創設し、お茶屋の営業を開始。
1923 (大正12年)
関東大震災救済のため、全芸妓が浴衣を繕い、配る。
1924 (大正13年)
「新大和屋」を開業。

お茶屋として前例のない、鉄筋コンクリート造りで、室内は
すべて和風の数寄屋造り。へらへら踊りが名物となる。

1937 (昭和12年)
大阪ミナミ畳屋町に料理店「阪口楼」を開業。

官休庵 中川宗匠による数寄屋普請は大阪随一と賞賛され、内外
賓客の接待に寄与する。

1939 (昭和14年)
「合名会社 大和屋」を設立。
1940 (昭和15年)
「合名会社 阪口楼」を設立。
1946 (昭和21年)
「大和屋芸妓養成所」を大阪不認可「大和屋芸妓学校」に改称。
1949 (昭和24年)
京都東山 高台寺畔に「京大和」を開業。
1951 (昭和26年)
大阪市北区に「北大和」を開業。
1962 (昭和37年)
「一汁一菜、三玄」(のちの大和屋三玄 南店)を開店。
1965 (昭和40年)
「南地 大和屋」を新改築。 上方芸能文化の殿堂、大和屋の能舞台。

この年、大和屋の能舞台が南地 大和屋新改築時に設けられました。 開店披露を兼ねた「能舞台披き」は、NHKの宮田輝アナウンサー 司会のもと、梅若流宗家梅若六郎氏や、十一世 市川團十郎氏が舞い、 地方を古典萩江節宗家・萩江露友が務めるなど、東西政財界の名士 で賑わいました。
また、新年の重要な行事であった始業式は、十日戎の終わった 1月14日前後に今宮戎神社から祭神を迎え、宮司が始業式の祭儀 を執り行い、この能舞台で行われてきました。

1970 (昭和45年)
大阪万博で南地芸妓、約100名が宝恵駕行列を披露。
1972 (昭和47年)
日本橋高島屋特別食堂に「大和屋 三玄 日本橋店」を出店。
1979 (昭和54年)
「株式会社 三玄」を設立。 シェラトン都ホテル東京に「大和屋 三玄 白金台店」を出店。
1983 (昭和58年)
「財団法人 上方文化芸能協会」を設立。
1984 (昭和59年)
阪口純久が南地大和屋 四代目となる。
1990 (平成2年)
大阪高島屋に「大和屋 三玄 難波店」を出店。
1991 (平成3年)
「株式会社 大和」と「株式会社 三玄」を合併し、「株式会社 南地大和屋」設立。
1995 (平成7年)
「大和屋歳時」を柴田書店より出版。
2000 (平成12年)
四代目女将 阪口純久が大阪市市民表彰を受賞。
2005 (平成17年)
そごう横浜店ダイニングパーク横浜に「大和屋 横浜店」を出店。 そごう心斎橋店に「大和屋 心斎橋店」を出店。
2009 (平成21年)
そごう心斎橋店閉店に伴い、大丸心斎橋店に「大和屋 心斎橋店」を新装オープン。